5.平和教育実践についての Q&A |
質問@:「小学校の低学年や中学年での平和教育のやり方は?」 質問A:「平和教育における小学校と中学校の連携は?」 質問B:「教科の中で平和教育をする時に気をつけることは?」 質問C:「ウクライナ戦争など現在の紛争を教えることについては?」 質問D:「平和教育に教師の価値観や思想が入り込むのでは?」 質問E:「平和教育実践に対して偏見を持たれないために気をつけることは?」 質問F:「平和教育の教材や展示に対して、怖がる子、忌避意識を持つ子への対応?」 |
質問@:「小学校の低学年や中学年での平和教育のやり方は?」平和教育は、小学校高学年の修学旅行や社会の歴史などで取り扱っているように思うのですが、やはり高学年中心なのでしょうか。中学年や低学年で、もしやっているならどのようなやり方をしているのでしょうか。回答: 歴史的なことは小学校の高学年以上でないと難しいのですが、低学年の子どもたちでも読み聞かせや、フォトランゲージなどの手法は可能ですし、絵本やビデオから入っていく平和学習というのは十分できます。ただ、表現や発信までするのはなかなか難しいところがあるので、受動的な学習になりがちです。
小学校低学年の間は、戦争があるとつらい、悲しい、嫌なことがあるのだということが心情的に分かっていたらいいと思います。学年が上がったときに、それなのにどうして戦争が起きるのだろうかとか、具体的にどんなことがあったのだろうかなどということに発展していけばいいのです。低学年の間は平和を好む心情を育めばいいので、絵本を使ったり歌を使ったりという方法であれば、さらに幼い就学前の保育でもできます。
小学校中学年では社会科で少し昔の生活を学習することもあり、身近な場所や人から過去の戦争について考えられるようになります。空襲や疎開や食料不足のこわさ・つらさなど、被害面からの理解は中学年でもある程度できます。行動力がついてくる発達段階なので、学校内外の人々に働きかける活動も可能になってきます。
質問A:「平和教育における小学校と中学校の連携はどうすればよいですか?」小学校と中学校で平和教育に関して何か連携していることはありますか。回答: 小学校と中学校では学校文化に違いがあり、連携は大きな課題だといえます。その克服のために小中一体の義務教育学校のとりくみなどもおこなわれていますが、まだ一部に過ぎません。平和教育は指導要領の縛りがない分、自由度が高まりますので、小中で修学旅行先や社会見学の目的地を交流して調整すれば、小中が無駄なく(重なりなく)接続する平和教育ができるでしょう。ただ、それらの行事はさまざまな要因が絡んで決定されるので、平和教育の観点からだけ考えるのはむずかしい面もあります。小学校で修学旅行での平和学習の成果を下の学年の子に発表し伝達することがよくあります。それと同じように、中学校の平和学習の成果を小学生に向かって発表すれば、双方にとって有意義な学習活動になります。
実践例として、2022年度の芦屋市立の中学校で平和学習の学びを小学生に伝えるとりくみをした例があります。「満蒙開拓」について、満蒙開拓平和記念館への修学旅行を中心にした総合学習で学びました。中学生は学んだことを、小学生の平和学習のためのプリントにまとめました。校区の小学生はそのプリントで「満蒙開拓」について学び、質問を中学校に送りました。校区の3小学校のうち一校の6年生全員が中学校を訪れ、小学生も中学生も数人ずつの小グループに分かれて交流しました。小グループなので、中学生は一部の子だけでなく、全員が発表者になります。質問に答えながら、中学生は小学生に分かるように表現や内容をくふうして学習の成果を伝えました。小学生はこれから先輩になる中学生から「満蒙開拓」について聞くことで意欲を高め、中学生は伝えるくふうをすることで、学びを、より深く自分のものにすることができました。
このようなとりくみは、場所・規模・時間などの条件が壁になってなかなか実現していないようですが、非常に有意義なとりくみです。 教科の中で平和学習をしようと思ったときに、どんなことに気を付ければいいのでしょうか。回答: これはとても大事な視点です。平和教育の授業実践を持ちよって、いろいろ検討したりするときに、どうしてもその視点が抜けがちになってしまいます。こんなテーマを子どもに考えさせましたとか、こんな場をつくりましたというようなところが中心になって、教科として、授業としてどうだったかという点がおろそかになりがちですので、その視点はとても大事だと思います。 例えば、地図から沖縄を学ぶ授業の指導案に「社会科・人権学習」と書いたことがあります。社会科でいうと、地図を読み取る技能を身につけてもらいたいという目標があり、この時間には沖縄県の特色を地図を通して理解してもらいたいという目標があります。その「特色」の中で、沖縄の基地問題に気づくというのが平和教育、ここでいうと人権学習の部分ということになります。
また、国語の時間には、こういうことを読み取らせるとか、あるいはこういう表現の技能を身につけさせるというような目標があった上で、平和学習としての目標がある、という二重のかたちが、教科の中で平和教育を行う場合には必要なことだと思います。 質問C:「ウクライナ戦争など現在の紛争を教えることについては?」
日本国内のこと、広島の原爆のことなどは取り上げやすいのですが、現在の海外の紛争などは、子どもたちには理解しにくいのでしょうか。
回答: 平和教育で、過去の戦争のことばかり教えるのではなくて、現代の、リアルタイムの話題をとりあげよう、という議論があります。いわゆる今日的課題にどうとりくむか、というテーマです。
いま起きている問題は、現在進行形なので教材研究・準備がしにくい、政治が絡むと中立性を保つのがむずかしい、教科書も指導書もないので、どう教えたらいいのか分からない……そんな理由をつけて、いま起きている問題から目をそらしている場合も多いようです。たしかに、こう教えたらいい、という答えは見つかりにくいかもしれません。けれど、まず、子どもとともに、その問題に向き合うことが大事です。それがはじめの第一歩です。
ウクライナ戦争であれば、テレビや新聞やネットにさまざまな記事や画像がニュースとして流されます。その画像のうちの一枚を提示して、子どもとともに考えるところから始めてもいいと思います。全員じゃなくても何人かは、ニュースで見たよ、と発言してくれるのではないでしょうか。
ただ、ネットの情報はもちろん、テレビや新聞などのマスコミでも、情報の偏りには注意が必要です。たとえば、プーチン大統領を呼び捨てにしたりヒトラーになぞらえたり、逆にブルーとイエローのウクライナカラーをペイントしたりして、感情的に、一面的な見方に陥ってはならないのです。私たちの国はかつて「鬼畜米英」や「暴支膺懲」といった相手を貶める言葉でまとまって、間違った方向に行った経験があります。国際情勢は複雑であり、日本政府は国際的なパワーバランスの上に立っているので、必ずしも中立ではないということを忘れずに情報に接していく必要があります。
2022年現在、ウクライナで起きていることは不幸なことですが、過去のこと・他人ごととして考えがちな「戦争・平和」について、切実に具体的に考えるきっかけが目の前にあるのです。また、不幸にも戦争が続いている間は、戦争の終わらせ方、平和的解決方法について考えたり議論したりするチャンスでもあります。この機会を逃さずに、現在の戦争を考える平和学習をおこなっていきましょう。 教師の思想や歴史観や価値観の押しつけにならないようにというのは本当に大事なところだと思うのですけれども、平和教育の授業をつくるときに、そもそも何を題材にするとか、どう教えるかというところで自然に、教師の価値観や思想が入り込んでしまうのではないのでしょうか。回答: 価値観の押しつけにならないように、押しつけをすべてゼロにしてしまうと、教育は成り立たなくなるといえるでしょう。ですから、一定の教育のレール上に乗っていながら、なおかつ教育の手法として子どもたちに押しつけたりしないようにすることを大事にしていくことが必要だと思います。
学習指導要領がありますが、実際の授業の場面で何を取り上げて、どういうことを子どもに語っていくかというのは、一定の範囲内で教師に委ねられている部分があります。戦前はそれがあまり委ねられていない時代もありました。教科書が国の中で国定教科書一種類しかなくて、違う教え方は許されない時代がありました。それがどういう方向に人々を導いていったか。戦争をして、国中が焼け野原になるような方向に進んでいったということを考えたときに、やはり教師が一定のフリーハンド−教材についての裁量権−を持っていることが絶対に必要だと思われます。そういう意味で押しつけはしたくないけれども、子どもたちを何に出会わせるかとか、どんな方法で学んでもらいたいかというのは、やはり教育主体として教師に委ねられるべきではないかと思われます。 平和教育をするにあたって気を付けなければならないこと、偏見を生まないために、こういうところは気を付けておくべきというところがあれば教えてください。
回答: 気をつけるべきことは多いと言えます。世の中にはいろいろな考え方の人がいます。例えば広島で原爆の被害を受けた方の写真について、こういう悲惨なものは子どもに見せるとショックを与えるだけだからだめだ、という考え方があります。一方で、そういうものをしっかり見ないといけないという考え方もあります。このように、意見が大きく分かれることというのは、こちらが押しつけるようなことは絶対してはいけないと思います。
写真資料で信憑性が疑われるようなものとか、個人の体験談のような一方からの見方でしかないような資料を使いたくなるときもあります。そういう資料を全く使わないようにしようとすると、生き生きとした説明ができなくなってしまうおそれがあります。ですから、これはある人の感じ方だけれども、このように感じた人がいるよとか、この写真はちょっとどういう状況か分からないところもあるけれども、その当時の写真だよみたいなかたちで、留保条件というか、子どもが決めつけてしまわないような説明をしながら取り上げることも必要かと思います。
意見が大きく別れる問題については、一方の考え方だけを紹介するのではなくて、両方の考え方を紹介した上で、「君たちはどう思う?」という問いかけを子どもたちに投げかけるというように、バランスをとる必要があります。これは子どもたちに教えたい、出合わせたい、ということがらがあるときに、異なる意見もあるのならば、それも含めて出合わせることが必要であるということです。この社会に存在する問題は、たいていの場合、立場によって違う意見が存在します。平和教育のように、自分で課題を設定して学習を進める場合、異なる意見に対する配慮というのは必要不可欠なものだと言えます。
回答: たとえばアニメ「はだしのゲン」には、爆発の瞬間に人体が崩壊していく凄惨な描写があります。あれを見て恐怖を覚え、見たくないと嫌悪感を抱くのは、ある意味、正常な反応であり、心配することでも非難することでもありません。ただ、そこから広がって平和学習はいやだとか修学旅行に行きたくないとかなってくると困りますね。その子には、こんなふうに話してみてはどうでしょうか。
「怖くなることや見たくないという気持ちになるのは、しっかり考えてしっかり感じている証拠です。すばらしい。
修学旅行でもほかの学習でもそうですが、心が痛くなったら、ちょっと目をそらしてもいいんです。とくに原爆に関連する、ものや画像には、大人だって見るのがつらいものがあります。そこから、つい目をそらしてしまうのは、はずかしいことでもないし、悪いことでもない。でも、なかったことにして見ないですましてしまうのはいけない。このちがい、わかりますか。
いま無理して見て、見るのがいやになってしまって、見なくなってしまったら困ります。
まだ心と体が成長を続けているあなたたちは、原爆の被害のような悲惨なことを考えたり感じたりするのがしんどいときもあるでしょう。そのときは、その大切さを心に刻んで、少し考えるのを休みましょう。いつか、心と体のバランスがとれて、大事なことを直視しようという気になったら、そのときにしっかり見て考えればいいんです。
ただ、その大切さだけは忘れないようにしてください。自分の都合のいいことだけを見たり考えたりするおとなにはならないように、いまの心を持ち続けてください。」
展示物や写真への恐怖感や嫌悪感が、強制されることによってより深く刻みこまれ、それによって戦争や平和の問題へむきあうことを避けるようになってしまっては、元も子もありません。平和学習の大切さは伝えますが、決して強要はしないことが大事です。
安易に逃避しているのではないかという心配があるときは、こう言ってもいいかもしれません。
「無理に見なくていいよ。でも、ほんとうにそんなめにあった人たちは、見ないで済ませることはできなかったんだということは、忘れないでね。」